FGOへ参加を果たした清少納言。彼女は、一体どういった人物だったのでしょうか。今回は、平安時代の作家 「清少納言」についてお話ししています
皆さんも一度は「清少納言」の名前はきいたり、彼女の作品に触れたことがあると思います。
それもそのはず、にほんじんは学校の「国語、古典」の授業で少なからず彼女とその作品を教わるからです。
ですが、どういった人物なのかなどうは触れられないのであまり知らない方が殆どだと思います。
ここからは、彼女がどんな人物であったのかを見ていきましょう。
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清少納言という人物
清少納言は、今から約1.000年前の平安時代に実在していた人物です。彼女の有名な作品として「枕草子」があげられます。
彼女は、平安時代中期の歌人で、父である「清原元輔」もも歌人であり、親子二代で歌人でもあります。
「清少納言」は通称であり、『清』は清原氏の出であること『少納言」は親類にこの位の者がいたとされることから。本名は諸説ありますが「諾子(なぎこ)という説がある。
利発で気の強い性格であったとされ、人によって好き嫌いの出る人物だったようである。それ故に「晩年不遇説』をでっちあげられたりもしている。
また、清少納言は一条天皇の奥さんである「定子(ていし)」の教育係としても有名な人物です。こんのことかも高い教養があったことが見受けられます。
紫式部との関係
清少納言と紫式部とは関係があり、2人はライバル関係にあったとされている。
紫式部の著した「紫式部日記」には、清少納言に対する枠口が描かれている。
清少納言は、藤原道隆の娘である「定子」に仕え、紫式部は 藤原道隆の娘である 「彰子」に仕えていました。 定子と彰子 は、ともに一条天皇のお后でした。この点もライバル関係の一因といえます。
また、互いの作風も原因といえます。清少納言の作風は「をかし」であり、「日々の話題、ちょっとした受け答え、自然や風物、人々のあり方への洞察」か書いています。
また、紫式部の作風は「もののあはれ」であり、「しみじみとした情趣、無常的な哀愁」を書いています。
枕草子
枕草子は、「春はあけぼの」から始まる有名な清少納言の代表作です。
紫式部の「源氏物語」が「最古のライトノベル」ならば、「枕草子」は「最古のブログ」と言える作品です。
学校の授業としては、冒頭の「春はあけぼの」と自然の情景のみを扱いますが、作品の内容はとしては「最古の百合エッセイ」と称されるような作品となっています。
気になれば、実際に本を手に取って読んでみるのも一興ではないでしょうか。