紫式部は、有名な「源氏物語」の作者であり、作品と共に教科書に載るほどの有名な人物です
「源氏物語」は「日本文学の最高傑作」とも称されてる作品で、海外でも評価の高い作品となっています。
そんな、平安を代表する人物である「紫式部」について解説していきます。
1.人物紹介
紫式部は、平安時代中期に実在した女流作家で歌人でした。
彼女の父である藤原為時も当時の大学者であり、歌人でした。
本名は、「藤原香子」とされており、紫式部という名前は「源氏物語」のヒロイン「紫の上」にちなんで付けられたとされています。
彼女は受領階級(中央政界に進出の出来ない中小貴族)の出身で、一条天皇の中宮の藤原彰子につかえていました。
彼女は父から漢学、音楽、和歌の教えを受けて才覚を発揮していきました。しかし、当時は女性が学問(特に漢文)に長けているということに称賛されることのない環境であったために宮廷内で辛い思いをさせられたと考えられる。
やがて藤原宣考(ふじわらののぶたか)と結婚しましたが、2年ほど後に夫はなくなってしまいました。
「源氏物語」は、夫の死後に書き始められた作品とされています。
2.紫式部日記
「紫式部日記」は、式部が中宮彰子に仕えていた頃に書かれた日記です。
1008~1010n年の間の宮中での風俗・行事、作者の心境を描いた物となっています。
この日記で、「源氏物語」では分からない式部の人物像は窺える資料となっています。
日記の後半は、「消息文」と呼ばれる物になっており。和泉式部、赤染衛門(あかぞめえもん)、清少納言に関する辛口人物評価が書かれています。
この日記を通して、宮廷生活に馴染めない内気な性格の式部が自身を鋭く的確に洞察している文章力が光っています。
3.紫式部と清少納言
紫式部と清少納言は不仲であったとされています。
政治的な関係
両者共に下級貴族の出身で、天皇のお后に仕えていました。清少納言は藤原道隆の娘の定子、紫式部は藤原道長の娘の彰子に仕えていました。
定子も彰子も一条天皇のお后でした。 また、道隆と道長は兄弟ではありましたが、権力争いという意味ではライバル関係にあったという状態でした。
こういった、政治的な事情も絡んだことによって女性同士、互いにライバル心を抱いてもおかしくない環境であったと考えられます。
作風の違い
また、両者の「作風の違い」も1つの要因であったとされています。
清少納言の「をかし」という日々の話題、ちょっとした受け答え、自然や風情、人々のあり方への洞察の価値観が描かれた「枕草子」。
紫式部の「もののあはれ」という見聞きする物事に触発されて生じるしみじみとした情趣、無情的な哀愁の価値観が描かれた「源氏物語」。
作品から見ても互いに「文章で体現したかった」ことというのも大きいく違い、作風でも対立するように見えます。
性格の違い
2人の性格の違いもまた要因とされています。
「枕草子」において清少納言は、「知識や教養、機知に富んだ受け答えをして人々を驚かせる自分」についてのエピソードが多く語られています。
清少納言は、活発な明るい女性像が見て取れます。
一方、紫式部は自身の「紫式部日記」では、「自分は我の強い人たちの中に混ざって働く事には向いていない」と苦悩を書き残しています。
このことから紫式部は、清少納言と違い内向的な性格であったことが見て取れます。
源氏物語
今回は、平安時代の代表する女流作家「紫式部」についての解説をしていきます。清少納言と並んで有名な作家として教科書にも名が載る女流作家です。
源氏物語は、紫式部が書き残した作品です。世界最古の長編小説であり、また「世界最古のライトノベル、ナマモノ同人誌」などともいわれたりもしている。
現代の萌え要素ともいえる嗜好が1,000年以上昔の作品に網羅され、完成されていたことは特筆に値するところです。
恋愛というテーマを扱った作品であるために、近年でも小説やドラマ、漫画、ゲームなどにの題材にされ、創作物の素材になっています。
作品の内容としては、光源氏の一生とその息子薫の半生、その2人をを取り巻く女性たちとその恋愛遍歴を綴った恋愛物語になっています。
源氏物語は、全54帖もある一大巨編となっていますが、書籍もあるので一度読んでみるのも良いと思います。女性一人一人への連遍歴が濃いのでかなり内容の濃い作品となっているのでまがく楽しめると思います。